残念石
⑱ 残念石
西の丸へ行く途上、右手に出てくる。洲本城で現在発見されている唯一の残念石。
三熊山は泥岩・砂岩・礫岩などがあちこちに見られる。三熊山は和泉層群とよばれる地層であり、中生代白亜紀末の海に堆積したかつての海底が隆起して出来た岩盤の山であったといわれている。(事実、この三熊山からはアンモナイトなどの化石も発見されており、下の城「淡路文化資料館」にはそれらが展示されている。)
つまり、三熊山そのものが巨大な岩石で構成されており、脇坂安治はこの豊富にある岩石を活用して城郭を造った。適度な岩に、ノミで矢穴を彫り、クサビを入れて石垣の石を切り出した。そのため、今も矢穴のある石垣が多く見受けられる。
写真の「残念石」も矢穴を彫り、割る用意もできているが、どういう理由かそのままの姿で現代にまで残っている。洲本城城郭に確認できる残念石はこれ一つのみである。
また、この残念石の裏側からは、大浜海岸と洲本城天守閣を一望することができる。
↓写真① 残念石。矢穴の痕が残っているが、石垣として使用されずに400年の間鎮座している。中には、神様のように手を拝む人もいるとか。「夫婦仲が分かれることのないように」、「子供が親を捨てて出て行かぬように」など、地について欲しいと願ってのことであろう。
↓写真② 残念石の裏側からながめる洲本城と大浜海岸。写真では白トビしてわかりにくいが、ここからは天守閣を含めた美しい景色を眺めることが出来る。
↓写真③ 残念石の裏側から眺める天守閣をアップで撮影。
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